読書:嫌われる勇気

今度はメンタルヘルスの本。タイトルがキャッチーなこと、ベストセラーであること、などから興味を持って去年の11月に購入していた。

 

アドラー心理学を哲学者の老人と世の中に不満がある青年の対話形式で表現することで読者にわかりやすくするというアプローチで、たしかに読みやすかった。ただ青年はほぼ常に怒っているので、怒っている人が苦手な自分としてはその点だけは最初辛かった。

 

アドラー心理学というのは原因論(今起きている事象は原因によるもの)ではなく目的論(今起きている事象が目的があって起きている)という考えの元、トラウマというものを否定している点がリワークでトラウマについて勉強して自分のトラウマと向き合った自分には新鮮だった。

例えば、いじめが原因で成人になっても引きこもっている人がいるとする。原因論ではいじめが原因で引きこもっていると考えるが、アドラー心理学の目的論の場合は「引きこもっていることで親の興味を引ける」という目的のために引きこもり続けていると考えるそうだ。確かにそう捉えることもできるかもしれないが、非常に残酷な考えだと感じた。

そして、引きこもりから脱するのに必要なのは「勇気」だそうだ。勇気がないから引きこもりを続けていると。作中の青年も怒っていたが、勇気を出せと言われて出せれば誰も困っておらずただの精神論だと感じた。

ここまでが第一章と第二章。

 

第三章では「課題の分離」について書かれていてこれも新鮮な概念だった。なんでも自責にしてしまう自分にとっては大切な考えだと感じた。

「課題の分離」とは、例えば仕事を頑張るとして、どう評価されるかは「他人の課題」なので自分は気にせず「自分の課題」に集中しろという話。仕事を頑張るのは「自分の課題」、どう評価するかは「他人の課題」と課題を分離することで責任分界点が明確になるので、ある意味「人事を尽くして天命を待つ」に通ずるところがある。

ここで重要なのは「他人は自分の思い通りにならないので考えても無駄」という点だと思う。なので自分のタスクに集中しろと。

 

第四章では「共同体感覚」というアドラー心理学独自の概念と思われるものが出てきた。これは皆が思うそうだが難しい概念である。人間はいろんな共同体に所属しているが、単独の共同体にしか所属していないと価値観が引っ張られるから複数の共同体に所属しろと。更に言うとより大きな共同体に所属しろと。アドラー心理学では最終的には過去や未来そして宇宙までもが共同体であると認識するらしく、ここが難しいと言われている理由だと思う。複数のコミニュティーに所属するのは精神の安定に寄与するという話まではわかるが、宇宙とか言い出すと話が飛躍しすぎてしまっている。

宇宙とかの話は一旦置くとして、どうして共同体が必要なのかというと所属感があると仲間に優しくできるからとのこと。例えば、会社の同僚の相談事には乗るが、赤の他人の相談事に乗れるかという話で、共同体の仲間に対しは行為のハードルが下がる。

第四章でもう一つ述べているのが「自分の価値」について。よく「自分には生きている価値なんてない」なんて話があるが、ここではどうすれば自分に価値を感じることができるかという話。自己肯定感の低いと感じている自分には興味津々な話題である。その方法というのが、人の役に立ちましょうとのこと。アドラー心理学では、人の役に立てたと感じれた時に自分の価値を認識できるそうだ。そして、共同体の話で仲間のハードルを下げておいたので、人の役に立つことへのハードルも下がるだろうということ。ここで重要なのが、人の役に立てたか判断するのは「自分の課題」、本当に役に立ってありがたいと判断するのは「他人の課題」なので気にしないこと。とにかく自分のタスクに集中して人の役に立てれば、自分の価値を信じられるだろうと。ちょっと宗教じみてるとは思う。

 

最後の第五章で興味が引かれたのは、自己肯定ではなく自己受容をしろという話。自己肯定というのは時に理想を追いかけてしまい現実とのギャップに苦しむことがあるので危険である。一方自己受容は出来ないことは出来ないとしてありのままを受け入れることでギャップがなくなり楽になれる。重要なのは「変えられるもの」と「変えられないもの」を見極めることで、変えられないものに執着してはいけない。これを「肯定的な諦め」と表現してるが、休職して色々諦めて楽になれた自分としては腑に落ちる話だった。

ここまでは怒りながらも説得されていった青年が最後に「特別な存在になりたい欲求はどうすればよいか」と尋ねるのだが、ここだけは話が理解できなかった。老人の回答としては「過去は関係ない、未来はわからない、だから今を精一杯生きろ」という今まで話してきた言葉を返すが、なんで世の中に不満を持った青年がこれで納得してしまったのか。コレガワカラナイ、それでいいのか?

 

最後の最後に納得感のかける終わりになってしまったが、言いたいことはなんとなくわかった気がする。しかしこれは以前に「反応しない練習」という別の本を読んでいたから理解できたんだと思う。この本は原始仏教ブッダの教えを活かして悩みを減らそうという本だが、いくつか共通点があると感じた。

・目の前に集中しろ(トラウマ等は目の前にない妄想であるから相手にするな)

・慈しみの心を持て(他人に優しくしろ)

・他人と競争するな(比較は苦しくなる)

・しかし実践は難しい(出来たらみんなが覚者)

こう挙げると似たような話をしている気がする。しかしアドラー心理学はとにかく厳しいと感じたが、ブッダの方がトラウマを否定したりしないし、勇気がないのが悪いみたいな厳しいことは言わないので優しさを感じる。

どちらも共通して思うのが、これが実践できて生きるのが楽になったとしても、現在の世の中だと浮世離れした人間になりそうだなあと。アドラーは医者、ブッダは小国とはいえ王族、どちらも浮世離れしても生きていける生活基盤があったからたどり着けた境地だと考えると、一般人が下手に真似してはいけないよなあと感じるので、やはり机上の空論感は否めない。ただ、全ては実践出来なくても一部だけでも習得できれば少し生きるのが楽になれそうだと思うので、この本は読んでよかったと思う。特に「課題の分離」の辺り。

 

一応続編の「幸せになる勇気」の購入したので、引き続き読みたいと思う。

余談だが、著者の岸見一郎氏のWikipediaを見ると「私の本が韓国でベストセラーになっているという現象について、日本のメディアは報じていない」と書いてあり、やはり実践は難しいんだなあと思い知った。